『ラ・ロシュフコー箴言集』の随筆メモ その1

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『ラ・ロシュフコー箴言集』の随筆メモ その1。世界に愚考を捧げん。

思索を深めたい方や本の購読を検討中の方は、ヒントや思考の呼び水としてご活用下さい。既読の方も、自分の感想と比較などしてお楽しみ頂ければ幸いです。低レベル過ぎたらごめんなさい。

 

 

『ラ・ロシュフコー箴言集』
著:ラ・ロシュフコー、二宮フサ(訳)、岩波文庫。
第一刷は1989年。よしやは第47刷(2019年)を読了。

 

箴言は「しんげん」と読む。教訓や戒めを意味する言葉らしい。今後、この本に関する場面以外で箴言という単語を使う日は果たして来るのだろうか。絶滅危惧語。そう考えると、こうして話題に取り上げるのは言語の復活と取ることができるのか。

文化文明のジュラシックパーク。かつて人類に生み出された物達による、忘却した人類への復讐が始まる。忘れ去られた言葉達による洗脳支配。飽食の結果ゴミとして廃棄された食料品達が、人間の腹が破裂するまで口に飛び込んでくる。昔の顔が恐い人形とか群を成して襲ってきそう。パニックホラー。

このように益体の無い思考も垂れ流していくのが「随筆メモ」です。話半分にお付き合い下さい。

本書はロシュフコー氏の格言集と解釈している(格言という言葉にも戒めという意味合いが含まれているらしいので、間違いではないはず)。延々と皮肉気味な格言が並び、ブラックなユーモアも感じますが、作者の精神状態が心配になる。

以下より本文の随メモ。
大きい番号から始まりますが、その内まとめ直すので気にしないで下さい。

370

自分がどこまで怖がりかを常によく知っている臆病者はめったにいない。

盲点。無知の知ポイント。むちちポ。

372

大多数の若者は、単にぶしつけで粗野であるに過ぎないのに、自分を自然だと思いこんでいる。

これはちょっと意地悪じゃないか?
言葉を入れ替えても成立しそう。
「ロシュフコーは、単に自然であるに過ぎないのに、大多数の若者をぶしつけで粗野だと思い込んでいる」
自然な様など十人十色。大多数の人間を一緒くたに表現している時点で正解など無い。

「自然であるに過ぎないのに◯◯と思い込んでいる」という言い回し・着眼点は人の気を楽にさせたい時に使えるかも。

376

妬みは真の友情によって、媚(コケットリー)は真の愛によって、破砕される。

本当の友人に妬みなど湧かず、本当に愛する人には媚びた態度ばかりではいられない、という感じ? それとも、真の友情が得られれば他人を妬む必要などなくなり、真の愛を得られれば他者に媚びる必要がなくなる、という話か。
「破砕される」という強い打ち消しの表現から、後者の解釈が正解かも。

真の◯◯、という言い回しは好きじゃない。感情に偽物など無い。純粋な、という表現なら分かる。

378

人は忠告は与えるが行いは一向に授けない。

多くの人は教師ではない。つまり教えるノウハウは未熟で、問題の解答が正解であるとは限らず、論理が明確な事さえ稀であり、そもそも他人を育てる義務を持たない。そして、そんな彼らはわざわざ他人の教師になど成りたくもない。

その忠告が断定的でありながら不適切であったり誤りがあったりしたなら文句の1つもあって然りだが、その言葉が押しつけがましい物ではなく過不足も無かったなら、それ以上を求めるのは酷である。他人に何かを言外で強制しなかっただけでも、その人は十分理性的であるとも取れる。

今の世はノウハウを伝える講師や執筆者や動画配信者が多い。まだ大多数とは言えないだろうが、この箴言にこうべを垂れて世の中を悲観することはあるまい。

この箴言を提供したというラファイエット夫人 は、口先だけの人々にうんざりしてしまったのだろうか。いやそもそも、「行いは〜授けない」とは、具体的にどうこうしろと言わない・ノウハウを教えない、という解釈で合ってるだろうか? もしかして、忠告者当人が口先だけで行動しない、という点を責めているのだろうか? 多分前者で合っているとは思うが。人は口を出したがるがそれ以上は踏み込まない、という中途半端な姿勢、野次馬根性というのか、そういう態度を皮肉っているのかも。
夫人の思惑の焦点はどこにあるのか。もっとちゃんと教えて! という話なのか、口だけで何もしない奴を責めているのか、煮え切らない態度に毒づいているのか。
これ以上は不毛っぽいのでここまで。

379

われわれの力(メリット)が低下すると好み(グウ)も低下する。

解釈が分かれる。
訳注によると、グラン・ゼクリヴァン版は

「いろいろなことができなくなると、そうしたことに対する趣味も弱くなる。」

と解し、トリュシュの注は

メリットが低下すると「それまでより低俗なものを好むようになる」

と解しているそうな。(グラン・ゼクリヴァンもトリュシュも何の事か分からないが。さらっと検索した限りでは、グラン・ゼクリヴァンは「偉大な作家」という意味っぽい。おそらく全集みたいな出版物か何かを指している? トリュシュは何も引っかからないが、おそらく人の名前)
その他、メリット=知的能力、世間的実力、真価などと解釈される事もあるらしい。

同国の方々(おそらくだが)でさえも断定できないのだから、異国の人間が正確な意味合いを求めるのは不毛。

そもそも、名言といえども正解を表現しているわけではない。見るべきは、得られる解釈による人々及び自分自身への影響力? 「影響力」という表現もやや漠然としている。影響や印象の程度?
自分や他人の解釈の仕方に焦点を当てるのが最も現実的。

387

馬鹿には善人になるだけの素地がない。

耳が痛い。胸が苦しい。
いや、馬鹿でも善人を目指すべき。日々工夫さえしていれば身に着く事は多い。成長できた時点で、その人に馬鹿などと貶められる筋合いはなくなる。

390

自分の利益を諦めるほうが、自分の趣味を諦めるよりもむしろ易しい。

分かる。そしてちょっと気恥ずかしさを覚える。

392

運も健康と同じように管理する必要がある。好調な時は充分に楽しみ、不調な時は気長にかまえ、そしてよくよくの場合でない限り決して荒療治はしないことである。

珍しく優しさの見える言葉。

393

町人風は軍隊で抜けることはあるが、宮廷では決して抜けない。

教育が大事という話だろうか? 考え無しに他人を本番に挑ませる良くない教師への忠告?
いや、わざわざ軍隊を挙げているということは、厳しさと優雅さを対比している? 町人には厳しくしないと駄目だ、的な意図?
「宮廷では決して抜けない」と強く否定していることから、こっちが主題の可能性。町人の雰囲気は宮廷だと丸出しだぞ、という忠告? 軍隊はただの比較対象。
よく分からない。前後の文脈が欲しい。

397

われわれは、自分は完全無欠で敵には長所が全くない、と全面的に言いきる勇気は持ち合わせてないが、しかし部分的にはそう思いこんでいる節がなくもない。

そうかもしれない。でも恥ずいからそんな事は暴かないで欲しい。

「自分は完全無欠で敵には長所が全くない」の部分を差し替えれば、他にも色々な言い方ができそう。

398

われわれが自分のすべての欠点の中で最もあっさりと認めるのは怠惰である。われわれは、怠惰は柔和な美徳のすべてに一脈通じるところがあり、かつその他の美徳も完全に打ち崩すわけではなく、単にその働きを遅らせるだけである、と信じ込んでいるのである。

面白い指摘。
しかし、怠惰が「柔和な美徳のすべてに一脈通じるところがあり、かつその他の美徳も完全に打ち崩すわけではなく、単にその働きを遅らせるだけ」であった方が嬉しいので、それを暗に否定するロシュフコーに諸手を挙げて賛同はできない。
怠惰に悩む人をあまり追い詰めないで欲しい。

怠惰に苛まれ苦悩する人間には適切な休息が必要だと思う。マイクロブレイク、タスクブレイク、アクティブブレイク等々(『ヤバい集中力/鈴木祐』参照)。

怠惰な上に悩みもしない人間は放置。そして、その期間に生じる不利益で罰としては十分。助けを求められたら速やかに助けられるようになりたい。というかそういう社会であって欲しい。
思考能力が不健全である人を叩いて喜んで欲しくない。誰かに心無い言葉をぶつけるとしたら、せめて対等な条件の下であって欲しい。

 

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