『ラ・ロシュフコー箴言集』の随筆メモ その4

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『ラ・ロシュフコー箴言集』の随筆メモ その4。思索アウトプット。

思索を深めたい方や本の購読を検討中の方は、ヒントや思考の呼び水としてご活用下さい。既読の方も、自分の感想と比較などしてお楽しみ頂ければ幸いです。低レベル過ぎたらごめんなさい。

470

われわれの素質はすべて善とも悪とも不確かで当てにならず、ほとんど全部がきっかけ次第でどうにでもなる。

言葉尻を捉えると貶められているようだが、人の可能性を逆説的に表現しているようにも読める。
謙虚な時や皮肉屋な時に使い易い。

474

その真価が美貌より長持ちする女はめったにいない。

意地悪な言い方。男だって同じだろうに。

人は成長するもの。真価というものが存在するとしたらそれは移ろうものである。「これが真価だ」と決め付けられるものではない。「幸せ」と似た感想の類であり、持続的な状態や確かなものを表す言葉としては不適格。

475

同情されたい、もしくは感心してもらいたいという欲望は、しばしばわれわれの打ち明け話の最大の要素をなす。

かもしれない。自愛や見栄。
盲点。無知知ポイント!

476

われわれの妬みは、われわれが妬む相手の幸福よりも必ず長続きする。

そんなことはないんじゃないか? 妬みから解放されれば終わり。
また、長期戦になりがちなのは同意だが、その感情は断続的である点は留意した方が良い。意識が逸れるポイントや優先して没頭できる物が把握できれば、大分気が楽になるはず。

478

一人一人の心の中に生まれつき自然に存在するこれほど多くのいろいろな矛盾は、人間の想像力ではとうてい考え出すことができないであろう。

ネットで情報を共有できる時代だし、大部分は言語化したり実験したりできるのではないか?
現にロシュフコーさん自身もこうして多くの言葉を残し、後世の人間がそれに触れている。

「とうていできない」と投げ出すのではなく、「非常に困難」程度に考え、必要や興味が生じそうなら一歩二歩取り組んでみよう。あとは共感してくれる誰かが助けてくれるかも。なお半分セルフトーク。

480

臆病は、治してやるつもりで叱ることが危険な欠点である。

危険とはどういう意味だろう? 逆効果という事だろうか。

臆病者として意見すると、怖さには羞恥心が伴う。それを人に悟られた時点でもまた恥ずかしさが上乗せされるのに、さらに責められようものなら、相手の不機嫌を察しその上で自己嫌悪が重なって感情がパンクしてしまう。

というか、人の恐怖を叱るってどういう感情だろう? 滞った作業を進めるための緊急手段か、他人の気持ちへの無理解か。いや、多くは「指導とはこういう物だ」という偏見や思考停止だろう。

臆病を詰るのではなく、新たな視点を与えるつもりで説得して貰えたら有効な気がする。

481

真の善良さにも増して稀なものはない。善良だと自分で思っている人さえ、ふつう、愛想のよさか弱さしか持っていないのである。

出た、「真の○○」。そんな物は実在しない。計測の仕様がない。
愛想や弱さから来る善良さでもいいじゃないか。揚げ足を取らないでくれ。生きていればじきに洗練される。

善良さを審査している暇があったら育てた方が世のため。それが出来ないなら、せめて人のやる気や希望を削がないで欲しい。

482

精神(エスプリ)は怠惰と慣れから、自分に楽なこと、もしくは自分の気に入ることにしがみつく。この習性が常にわれわれの知識を一定の限界に閉じこめてしまう。そしてついぞ誰一人として、自分の精神をもっと拡げ、できるだけ遠くまで導こうなどという努力は、してみたこともない。

前半は分かる。「そしてついぞ誰一人として」以降は疑問。
挑戦だの新しい物だのを推奨する人はよく居る。
メディアが未発達だった時代の発想の貧困もしくは錯覚では。

483

人はふつう悪意よりも虚栄心によっていっそうひどい悪口屋になる。

あり得る気がする。他人を貶めるための悪態より、間接的に自己主張や自画自賛するための悪態の方が世の中に多そう。自覚が薄そうでタチが悪い感じ。

もっと幼い頃の自分にも覚えがある。反省。

487

われわれは肉体よりも精神の中にいっそう大きな怠惰をかかえている。

もっと考えろ! 挑戦しろ! という事?

肉体と精神は密接な関係にある。片方に問題を感じてしかも改善が困難だった場合、もう片方の習慣を見直してみると良いと思う。

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